宗教と生き方

私のホトケ様はキリストの神みたいに罰を与えて人を諭そうとしたり試練を与えて人を試そうとしない。ただひたすら深い深い慈悲の気持ちを持って相手が悟るのを待つ。慌てない。私のホトケに時間は関係ない。慌てる神は罰とか試練とかを持ち出すけれど、私のホトケはのんびり楽観派だから、相手が自ら心を入れ替えるまで、あの細い目で微笑みながら、ゆっくりと待つ。

自然は支配するもの 人にしか魂はない ってな考え方のキリスト教はどうも私の肌に合わず バリバリのキリスト教徒のアメリカ人義母とはいつも論争になってしまう私ですが これを読ませて頂き ああいいなぁ と メモ
以前義母が私との宗教論争?(^^ゞの中 まるで捨て台詞の様に あなたの言ってる事は「宗教」でしょ 私の言ってるのは「宗教」じゃなくて「生き方」なの と 叫んで議論をぶったぎった事(^^ゞがあったんですが この言葉は思いの他その後の私の心に残りまして なるほどそういう風に考えてゆけば 私にだって日本人としての「生き方」があるじゃないか とね それは 仏滅とか大安であり 三三九度であり 初七日とか命日であり お墓の前で手を合わせる気持ちであり こういった私の生活の中に自然と存在しているもの達は カテゴリーとしては仏教でも神道でもないけれど確かに私の血と肉を成すものなわけで なるほどそうかこれが宗教心というものなんだ と なんだか目からウロコで ただ この生き方には名前がない だから義母から私は無宗教な人間と思われる だから 神様を信じない私(この場合の神様はキリスト教における神様のこと)を可哀想に思って義母がゴリゴリ押してくる なるほどなぁ 今度また始まっちゃったら この路線で攻めてみよう え?(笑) なんか上の抜粋文も言っちゃいそうですワ白熱してきたら(笑) っておっといやいや違うんだよね そもそも『生き方』なんだから『宗教』として比べてる時点でもうアウトなんだよね それじゃ堂々回りだよ(笑) いやでも言いたいゾ〜〜〜(≧▽≦) おい(笑)
ってサ 押し付ける って次元で私も義母と同レベルだよね反省 まぁそれも 愛 って事でお互いに ね (^^ゞ 自分を分かって欲しいからこその議論です
上の抜粋文は はすはなちゃろぐ様のところで拾わせて頂きました ありがとうございます! 他の系統でも実は色々お世話になってます ポーションのコマーシャルもあなた様の所で知りました ありがとうございます(*^_^*)