司馬遼太郎 坂の上の雲 感想

楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながら歩く。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

司馬遼太郎坂の上の雲』後書きより

司馬遼太郎 『坂の上の雲』 正岡子規秋山好古秋山真之兄弟を主軸に 日清、日露戦争を舞台にした壮大な物語り 全八巻を読み終わり なんともいえない余韻の覚めやらぬまま 作者自身の手による後書きの中にこの一文を見つけた このタイトルはそういう意味だったのか! 全身が総毛立った 私の中に広大に広がっていた物語りの景色が しゅっと一点の気持ちのいい場所に向けて収縮してゆく そんな感動を味わった
明治時代 日本がまだ生まれたばかりの小さな国家だった時代 近代国家を目指し 私欲ではなく公のために生き そして死んでいったたくさんの男達 皆 自らの理想を持ち 志し高く 自らを信じ自らを自分らしく生きて駆け抜けた それは 坂の上に見える雲を目指してまっすぐに ただひたすら上を見つめてかけ昇ったかのごとく
人間は素晴らしいものなんだよ 司馬さんの物語りを読む度私は そんな彼の想いに包まれる それは同時に 人は素晴らしくなれるんだよ という 彼の力強い彼のメッセージでもあるんだよね

40代の10年間を 『坂の上の雲』この作品に費やしたという司馬遼太郎 彼がこの物語りを書くに至ったきっかけをネットで見つけたのでここに保存

「ある出版物の後書きに書かれたものですけれど、後に評論家の中で有名になったエッセーです。司馬さんは戦車隊におられたのですが、その戦争体験から、敗戦の日に「なんとばかな国に生まれたのだろう。明治や、それ以前は、こんな風な国ではなかったのではないか」と思って「当時この自問に答える能力はなかったが、40歳前から、22歳の自分に手紙を書くようにして小説を書くようになった」というエッセーです。実はこれを書かれたのが『竜馬がゆく』の新聞連載の最中でした。『竜馬がゆく』を書き進めて行く内に日本がどうなるんだという考えを持たれるようになっていったと思います。司馬さんの歴史小説はすべてが事実かというと、そうではないのです。やはり作家ですから、いろいろなところに事実を補うためのフィクションがあります。『竜馬がゆく』でも寝待の藤兵衛という泥棒の親分みたいな人物が狂言回しの役で出ていますが、このエッセーを書かれた頃から見事に作中から姿を消します。司馬さんはこの時から、作家という立場を超えて明治からの日本というものを「よし書くぞ」と決心されたのではないかと思います。この2年後に『坂の上の雲』の新聞連載がスタートします。ですから『坂の上の雲』は、22歳の司馬自身の疑問「明治やそれ以前の日本はこんなばかな国ではなかったのではないか」に答える手紙といえるでしょう。」
http://www.k5.dion.ne.jp/~hirokuri/ishihama.htmlより抜粋

「小生は『坂の上の雲』を書くために戦後生きてきたのだという思いがあります」と語ったという彼 この作品をしかと読めば 彼の未来に向けたメッセージが ずしりと伝わってくる
人の生き様は善悪では測れない けれど 人の生きた道は人を照らす それは より良き未来への道しるべ

最後に 以前も抜粋した事があったのだけれど 司馬さんが子供達に向けたメッセージの全文を見つけました

http://www.kantei.go.jp/jp/kidsold/hanashi/r_s_txt.html
司馬遼太郎『21世紀に生きる君たちへ』 

君たち、君たちはつねに 晴れあがった空のように
たかだかとした心を 持たなければならない
同時に、ずっしりたくましい足どりで、
大地をふみしめつつ 歩かなければならない

そして私も 歴史の中に生きている