存在するという事

今裸にしたい男達でオダギリジョーが 自分が存在しているかどうかを確かめるためにモノを創り続けている と言っていた 同時期に見たスタジオパークでは 八嶋智人さんが 自分の存在を何かに残したくて役者になった と言っていた 以前メインサイトでも違和感というタイトルで書いたんだけど 私は子供の頃 ともすると自分が宇宙に溶け込んでゆく様な不思議な気分によく襲われた 自分が自分としてこの空間に存在している事 を 疑っていたフシがあり だからオダジョーの言う事は体感としてとても良く分かる けれどこの感覚は日増しに薄れてゆき 今ではあの感覚を言葉としてしか再現出来ない これは単に慣れなのだろうと思っていたんだけど 実は私は 誰かに必要とされた時点で 自分の存在を確信しているんじゃないかナとふと思った でもってこれは 女の性なのかもしれない なんてネ 自分がここにいようがいまいが 誰かに呼ばれた時点で私はここにいる そんな感じで まぁだからこそ私も危ういのかな 自分で自分を確信しなくちゃネうん