魂と体

魂と体の規格が合っとらん人間
躯という器に収まりきらぬ
大きな魂を持つ者 …中略…
溢れ出した魂は
身体の枠を超え
表皮の様に全身を駆け巡る
だから霊に触れられる
少年ジャンプ20『みえる人』第三十七譚より

魂が溢れ出してしまっている この表現に強く惹かれました そして その溢れ出した魂が体を被っているという表現にもソソられます なのでここに保存§^。^§
魂と体が別もんってのは 父親の遺体を見た時まさまざと体感した私 あれはまさに抜け殻 姿形は父 けれど 父を父としていたものはもう既にどこかに行ってしまった後 そんな感じ いや あれは 感じという様な生易しいものではなく 思い知った かな
そしてこの体験から私は 子供の頃よくはまり込んでいた宇宙 あの 自分が自分でなくなる様な不思議な感覚への答えを ようやく見つけた気がしたんですよね つまりあれは 魂がまだ私の体に馴染んでいない感覚だったんだなと 
だからこの文を読んで 皆だれかしらそういう体感 感覚があるんだなと思いました そうでないとこういう設定は出来ないですもの
思えば 自分が味わっていた感覚を誰にもキチンと表現出来ないというまどるっこしい現象 これ自体は 物心がしっかりとついた頃 小松左京のなにかの小説の中に答えがあって物凄く嬉しかった覚えがあります つまりそれは 表現する言葉がないから という事なんですよね その状態、感覚を表現する形容詞が存在してない 故に語る事が出来ない
この感覚を指し示す言葉が出来なかった事 これは多分に この感覚が子供限定のものだからなのかもしれないと今ふと思いました 魂が馴染んじゃえばあの感覚はなくなるわけで 言葉が完成した頃には 感覚自体が消えている だから表現する必要もないわけで
大人になってしまった今 当時のあの気持ちにはなれない私 なれなくなってしまったのはいつからだったろう 中学くらいの頃は すとんとあの宇宙の闇に落ちる事はなくなっていても あの気持ち自体はいつでも再現出来たと思う けれどだんだん薄れていき 今ではなりたくてもなれない なっていたという事は覚えているのにあの気持ち自体になれない この事からも 気持ちは言葉で表せるけれど やっぱり言葉は後から出てくるものなんだなと改めて別の結論も見つけてみたり(^^ゞ
原始感覚 なんだろうね 言葉を紡ぐ前の感覚 この広大な頭の中のもやもやにはまだまだ 私達の知らない感覚がたくさん潜んでいるのかもしれない