自分とは

仮面ライダー龍騎 屍鬼 新選組! 最遊記 私がここのところ揺れてそしてハマったものは思えばみな同じ命題を突き付けてくる それは究極の天秤 どちらか1つしか選べないとしたらあなたはどちらを取りますか? 「命」と「生き方」だったら? 「モラル」と「命」だったら? 「愛」と「命」だったら? 「自分の命」と「他者の命」だったら? どちらを選んだとしてもそれは苦しく悲しい道で どちらを選んだとしてもそれは正解ではなく けれど選んだ答えは明らかに 自分というものをくっきりと指し示すもので ハリーポッター2巻でダンブルドアが言った「It is our choices,Harry,that show what we truly are」が今また心に響きます
敬虔なキリスト教徒である義母と話していて思ったんですが 宗教を持つ人には 答え がキチンと存在しているんですよね 人は不完全な生き物 だから答えは神から降ってくる でも私は 自分でとことん考えたい 様々な選択が存在し 答えを求め真摯に悩み苦しむからこそ人は美しい 答えを持たない不完全な生き物であるからこそ人は愛おしい と思うわけで あらら?ここまで書いて自分でビックリですよ若い頃の私は不完全であるからこそ人という生き物を観念的に嫌ってたんですもんそれが不完全が愛おしいなんてね これはあれかな 子供を生んだせいかもしれないな つまりは はっきりと自覚した完全肯定の経験 自分の子供がどんな子供であれ全肯定する これももちろんあるんですが それよりも何よりも逆サイド 自分の子供から完全に肯定される経験 これなのかなぁとね どんな自分であろうと関係ないわけですよ 子供は盲目的に自分に頼ってくる 自分を愛してくる そこにジャッジは一切存在しない
まぁね こうやって人から確認されないと自分を肯定出来ない心理はかなり危ういゾと自覚しているわけですが 人はやっぱり他者に認識されてこそ人なんじゃないかと思ってみたり それを自分だけで 自分で確認しなくてはいけない その作業に行かなきゃいけない段階だとどこかで自覚しているからこそ私は 自分とは何なのかを求めて上記の様な物語りに惹かれ続けているのかもしれないな
なんてふと思ってみた今日の昼下がり(^^ゞ