世間は誰が決めるもの?

死んでも他人に迷惑をかけないという心の底には、他人が迷惑をかけるのも絶対に容認できないという考えがある。これが日本という共同体を維持する人間関係のルールだ。
朝鮮日報 社説 【萬物相】日本人の「迷惑をかけて申し訳ない」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/11/02/20041102000039.html

人が悪い事をしない理由は往々にして 罰がどこから来るのかを怖れる気持ちが実はメインだったりするもので(^^ゞ その罰が降りてくる場?もの?は 西洋では神様 日本では世間だったりする 西洋の神様は歴史の中である程度明文化されてるんだけど この 世間 の方は流動するし実体も無く 思い込みでいくらでも作れるものなので その意味では大変始末が悪いものだと思う そしてこの世間は和の心を持って安定 つまり 和を乱すものは排除される けれどじゃぁ その和を乱すとされる基準はいったい何なのか それは世間 堂々巡り(笑) だから結局は 最終的に自分がどう世間を把握しているかになっちゃうよね つまりは 自分
ちなみに私の基準は 誰も見てなくても自分は見ている かな 自分が自分を許せないのは実は一番辛いから だって逃げ場が無いんですもん 自分はいつも一緒だから(笑)
で 今ふと思いました あやふやな世間から判定されるためには まず自分で世間というものの枠を決めなきゃならない 面倒臭い辛い分からない だから宗教に走る人がいるのだろうか そこにはいつも絶対がある 盲信出来る 自分で考えなくてもよい まぁこれは 生まれた時から宗教と共に生きている人達には全く当てはまらない話しですが
けれどなぁ この 他人が迷惑をかけるのも絶対に容認できない ってのはどうなんだろうなぁ まぁ 迷惑 って言葉もあやふやで 日本には 水臭い って言葉もあるし(^_^;) 自分は人に迷惑をかけない でも バシバシ頼ってもらって構わない この方が日本人らしいと思うんだけどなぁ ちょっとサムライ魂?入ってる?(^^ゞ(^^ゞ(^^ゞ
世間が狂気に凶器になるかならないかは 世間を形づくる私達ひとりひとりの心意気1発 自分に厳しく人に優しい そんな日本人に私はなりたい