公と私の境目

って上では締めたものの(^^ゞ またグルグル考え出した事 そういえば私は 公の人に対してはけっこう言いたい放題言ってるなぁという事 けれどそれは職業の部分だから 公の部分だから その部分を批判する事はその人自身への人格攻撃ではない けれどその人にとって 職業と人格がひとつだったら? それはやっぱり攻撃と感じてしまうのだろうか なぁんてグルグルと(^^ゞ
私はそれは違うと思う を 自分への攻撃と取る人もいるんだろうなぁきっと まぁ言い方にもよるんだろうネ あなたの意見を私は尊重します けれど私は同意出来ない こんな感じ
そう言えば以前から思っていた事 アメリカの人は自分として仕事をしている という事 だからこそ こちらで受けるサービスの良し悪しの幅はとんでもなく広くなる 気立てのいいリンダと 意地悪なブレンダとでは 同じ会社の人間でもそのサービスが天と地程に違ってしまう サービスどころか商売の根幹部分まで変わってしまう 私は何度もこれに出会って来た 日本では絶対に無かった事 何度電話してもノーと言われていた事が たまたまその人じゃない人が電話を取った事でイエスになってみたり 全くもって信じられない国(笑) これに比べ 日本人は仮面を被ると思う A会社の仮面 A会社の顔として働く だからA会社の人間として行動する
で思った事 これがまた 議論慣れ に繋がってゆくんじゃないかなぁとピコンと電球(笑) アメリカ人は 常に自分 だから 私の部分で異論を言われても傷付かない その部分は決して柔らかいものではないからだ 日本人の様に公という固い殻に包まれているものじゃない 常に曝け出しふきざらし だから自然と強くなる それに 議論すればする程 要求すればする程ドンデン返しさえ起こりうるこの社会 自然と皆が 要求上手 議論上手になってゆく なるほどなぁ色々繋がってゆくんだなぁと 自分でも思わぬ所に着地してニマニマ(笑)