宗教

英語における God という単語は本来 キリスト教における神様 なんだよね と ドラゴンボールの中のキャラである神様が 英語版では か〜み〜 と皆に呼びつけにされている事でも(笑)良く分ってはいたのですが 神様は1人 という生き方をしている人にとって 他の宗教や神様を尊重する っていうのはどの位大変な事なんだろう と何となく考えました いや 朝の日本語ニュースで 南部バプティスト協議会の保守派の人達が 公立学校がキリスト教の価値観を教えていないからという理由で 子供は家庭で教育を行うべきという主張をしているというのを見まして うん 確かに クリスマスのクの字もないですうちの息子の小学校(^^ゞ ちなみに全米では 200万人が学校に行かないホームスクーラー そのうちの76万人は宗教的な理由だそうです 日本に生れ育った私にとっては体感しにくいものではあるんですが 宗教というものは それを信じる人にとっては生き方そのもので とてもとても大事なもので 生きてゆく核で だからそれを守るためには命を賭ける事も厭わない そんな歴史がたくさんあるし 今現在も世界のあちこちで続いている でもね 私はこう思うんです そういった人々の純粋な宗教心を利用して 1方向に誘導してゆく政府や政治家というものの存在こそが曲者なんじゃないかとね 昨日の日記で このニュース*1がらみで愛国心 というものについて書きましたが 政府と国は私の中では別だったりします(^^ゞ そして私は 本当に国のためを考えている人を政治家と呼びたい 100年後を思い描いている人を政治家と呼びたい たとえば 軍隊を送るか否かの決定にイエスと言う人は 自分や自分の家族が最前線に行って死んでも構わない覚悟で言って欲しい そしてその上でその決定が 私利私欲のためではなく純粋に国の未来を考えて下されたものならば たとえ私と意見が違っても その人のその生き方 大事なものを私は尊重します でもその上で 私は違うと言いたい 尊重するけれど私達は違う それが殺し合いにならない世界 その方向を私は希望と呼びたい