子供 肌色 差別語

サイトの掲示板で 「子供」というのが現在不適切な表現となっている事を知ってめちゃんこ驚いた これ 常識だったんですか? ちっとも知りませんでした(@_@) で その理由というのが 子は大人のお供 添え物じゃない というものや 供える に 生け贄の意があるからという事で この理由にまた2度ビックリ 確かに絶対廃止すべき言葉は存在すると思います 本当の意を知らずに使っていて 冷や汗をかいた事もある でも この理由に関してはなぁ(^_^;) もう随分前になるのかな 「肌色」問題がありましたよね これにも実はフツフツ不満だったんですよね だってこの色は日本人の肌の色なんだから 自国で使う分にはそれでいいじゃないですか スキンカラーと訳せばいいんだし 人種によって肌の色が違うのは当たり前で この「肌色」を差別語とするのは そこに優劣の意識があるからこそなんだと思ってしまう私 ただの違いとして認識していれば 「肌色」という言葉が差別になるハズもない 日本人の心の中に 黒い肌が自分達の肌より下 黒い肌は良くないもの という意識があるからこそ差別語として聞こえてしまうんじゃないかなぁ たとえば 黒人の血が混ざっている日本人の子には ホラ普通の日本人の肌はこれでしょ あなたとは違うよね あなたには黒人の血が入ってるんだもんね と 単なる事実を伝えればいい このどこが差別になるのだろう その意識の底には 普通でない事が良くない事 という意識があり その前には 皆同じでなければいけないという意識があるからなんだろうね この事から繋がり 運動会のレースで順位を決めない 負けた子が可哀想だから これにもホント呆れました 負けた子に 勝者を讃え必要以上に落ち込まない事を教える事が教育なんじゃないかと思う私 だいたい 平等 という意味が間違っているんですよね 平等 は 同じ という意味じゃない フェア って事で つまり 違う者同士が対等の権利を持つ これこそが平等 そもそも民主主義というのは 多数決の前の話し合いこそが1番大事なワケで これっていわば 皆が違う事が前提なわけなんですよね 違う が前提なんです これは 同じ を前提とする日本の考え方と大きく違う 違うからこそ話し合いが必要となる 違う者同士が共に生きてゆくための知恵が民主主義なわけで で 最初の話しの「子供」に戻りますと(^^ゞ イケニエはともかく(^_^;) お供 ってのはそれで当然だと思うんだけどなぁ 子供は1人前じゃないんだもん ちなみに 「保護者」という言葉にも異を唱える方がいらっしゃるそうですが 私は 子供は未完成な人間なんだから 保護されて当然だと思う でもそれはもちろん 子供を道連れに無理心中しちゃう意識とは全く別なもの あ そうか こういう 子供は自分のもの 所有物 という意識があるからこそ逆に 子供の供に敏感なのかなぁ 子供は別の人間で別人格 大人の所有物では無い でも 指導と教育と保護が必要な未完成な人間 大人と対等では決してあり得ない 平等にする必要もない と私は思うんだけれどなぁ 大人には大人の世界があり 子供には子供の世界がある だからこそ子供は早く大人になってアレもしたいコレもしたいとワクワクする って私 子供子供って連呼してますね(^^ゞ(笑) いまにこれ 辞書からも消えるのかしら(^_^;) でもね 結局 差別ってのは その言葉の裏にある感情だと思うんですよ その悪意こそが人を刺す そして その言葉が悪意を持って使われ続けた結果 言葉自体が対象者にとって不快なものとなってしまう でもだからこそ その言葉は使うのを止めましょうハイおしまい じゃぁダメなんですよね それじゃぁ何の解決にもなってない 言葉の裏に存在していた悪意がなくならない限り 他の言葉がそれに取って変わるだけ そこらへんの所 単なる言葉狩りに終わらせずに たくさん議論されて欲しいものです たくさんの議論 とことんの議論 それこそが民主主義なのですから で 私も意見表明 子供 でどこが悪いの?(^^ゞ